剣道の「道」とは
いったい何のために剣道をするのでしょう。強くなりたいから?試合に勝ちたいから?小川忠太郎範士九段は「竹刀を刀だと思って真剣に稽古して本当の日本人になる」と云われました。「日本人」とは、どんな人をいうのでしょう?大昔、日本は「倭(わ)の国」と呼ばれていました。やがて「大和(やまと)」という国が日本を一つにまとめたのが始まりです。その国づくりに一生を捧げた人が聖徳太子です。彼がつくった十七条の憲法の第一条に「和を以て貴しとなす」とあります。ここにこの国のあるべき姿、日本人の姿が示されていると私は思うのです。争わず仲良くすること。そうした人になる道を、竹刀を手にとって学ぶのが剣道なのです。それは三歳の子どもでも理解できます。しかし、実行するのは七十歳の老人でも難しいことです。だからこそ、一生懸命稽古することが大切です。子ども達には「元気に、楽しく、仲良く」稽古してほしいと思います。
ここは忍者教室?
最近は下は4歳から小さい子が来るようになった。まだまだ胸を張って「剣道」と呼べるような練習はしていない。まずは、道場内を駆け回ったり、チャンバラ遊びをしたり。思いっきり体を動かして満足したところで素振りと足さばき、一応打ち込みの真似事。それでもちゃんと正座をして「お願いします。」と「ありがとうございました。」が言えるようになった。最初のころよりだいぶ成長した。しかし、子どもたちの元気パワーはすごい。また、よく動く。剣道教室ではなく「忍者教室」と化している(残念ながら忍術は専門外なので教えられません)。私も子どもたちから元気をもらっている。
どこまでも果てしない剣の道
「剣は心なり、心正しからざれば、剣また正しからず、剣を学ばんとする者はまず心を学ぶべし」。当少年団の設立者である先師から、よく聞かされたこの言葉の意味が、その重さが三十年以上の時を経て、ようやくわかるようになってきました。若いころのように、スピードやパワーに頼ることができなくなると、残るは「気力」、「心」だけということになります。しかし、「心」は、どこにもないが、どこにもあるという厄介な代物。先師はよく「あの宮本武蔵でさえも、剣の道を極め尽くすことなく、世を去った。」とも言っておられたが、剣道という道は、はるかに遠く果てしない道。だからこそ、剣道の魅力に取りつかれた人にとっては、求めてやまない道なのだと思います。